Diversity に救われる
ネットサーフィンをしていて、ふとこんなページにいきつきました。
彼女が身体障害者だった。大学生男子です。2年付き合ってる彼女がいます。今日... - Yahoo!知恵袋
耳が片方聞こえない彼女は、それをとてもコンプレックスに感じていた。
それを打ち明けられた彼の対応は素敵だと思います。
耳が片方聞こえない=身体機能に不全がある
≒障害者
障害、というより、障害者であることは悲しい事であり、辛い事であり、恥ずかしい事であり、、、そういったネガティブな暗黙の認識を感じました。
もしかして、日本社会全体、大多数の人々はこのような認識を暗に持っているのかもしれない。
そう思い直したところです。(メタ認知が異常に苦手です。これについてはまた別の日記で。)
私にとって障害とは、私の中にあるものでもあり、すぐそこにあるものでもあり、ありきたりな言葉ですが個性というか特性のようなものであり、人生でほぼすべての人が一度は経験するものであり、私の一面を形作っているものです。
確かに、心身機能の不全(=一般的にいう”障害”)によって、生活している中で”困難”となること”不自由”を感じることは多いと思います。
しかし、それが全てかつそのせいで、障害=ネガティブな何か、という感覚が私にはなくて。
そういった概念を理解はできるのですが、感覚としてつかめないのです。(これが私の弱点。)
ここにいる私は、「言葉をイギリス人と同等に話せない」という点で、色々な障壁を経験しています。
正直な話、ある種、私は社会の中のマイノリティとして生きてきたように感じます。
いくつもの種類のマイノリティに属して。
自分で選んだわけではなく。
マイノリティととともに生きてきたとも言えるかもしれません。
日本という国で。
そんな私が、楽に呼吸をできるように、より幸せな毎日をおくれるように、ここまで旅をしてきたんだと気づきました。
Diversity (多様性)に触れ、自分を肯定する事を知りました。
それで、いいんだと、心から感じ始めたのは最近かもしれません。
肌の色が違う人、障害をもった人、敬虔なクリスチャン、8つの言語を話す人、中絶を3回経験した人、親が3人いる人、同性を愛する人、政治的紛争が絶えない小さな島国出身の人、地球規模で別居婚中のご夫婦、生まれ育った故郷で幸せな家庭を築いている人、家族も夫もいない妊婦。
マイノリティに溢れた、多様性が私をここまで導いてきたのでしょう。
多様性が自己肯定を促し、人生を生きる自信を育む元となる。
他者を肯定することにも繋がればより素晴らしい。
この点で、多様性を認める社会は、人々の人生をより豊かにすると思います。
冒頭の”片方の耳が聞こえない彼女”も、色々な人・文化・価値に触れることができれば、またそれが可能な社会であれば、コンプレックスを感じなくてよくなるかもしれません。
(私は非常にありがたいことに、自分で多様な社会を見つける旅に出る事ができました。今もまだその旅の途中です。)
いえ、彼女のコンプレックスは、素敵な”彼”によって、もう随分楽になったかもしれません。