開発途上国における障がいの医療化 102nd day in Leeds

ガーナの障害をもつ生徒たちに何ができるか、ボトムアップで考えていました。

ガーナで感じた事、思っていた事を、昔の日記帳を見ながらです。

 

ガーナの障がい者と貧困について。貧困により焦点をあてるのか。

もしくは、障がい者である事と貧困である事により、医療サービスがより受けられにくくなっている状況に焦点をあてるのか。

それとも、障がい者の医療サービスの在り方そのものに焦点をあてるのか。

日記帳を見ていて、ガーナでは”医療者”と”患者”もしくは”障がい者”の関係が完全に上下関係で、医療側の言うことが絶対だという状況を思い出しました。

これはきっと障がい者の”機能障害”のみを”障害”と捉える事を促しているのではないでしょうか。。障害の個人モデル(ひいては医療モデル)ですね。

障害は、社会の問題ではなく個人の問題だ、と無意識化に、障がい者自身にも認識させてしまっているのではないでしょうか。

この障害の医療化(Medicalisation)を促進してしまいやすい背景もあると思います。

西洋中心主義、科学技術主義、土着の概念や文化が急速な外来概念や文化の流入(つまり開発ってことかな)とうまく調和できず過度な土着崇拝と過度な西洋崇拝の二極化になっている事。

医療技術の急速な進歩により、障がいの医療化が進んできてしまった先進国。

それにより、障がい者の社会排除(というときつく聞こえますが。英語を直訳するとこうなるだけです)が無意識に、さも普通のように進んできてしまった先進国。

 

ガーナの医療スタッフの在り方一つで、障がいの医療化が進むことを阻止する事ができるのではないか。。それは障がい者にとって、社会からの排除をなくし、また障がいによる自身の抑圧の軽減にも繋がるのではないか。。

 

という点に興味を持ち始めました。

ただ、この方向性だと、”開発”が目的ではなく、手段としてのみ扱われることになる気がします。

”障害と貧困”といったフィールドから完全に外れるわけではありませんが、少し遠のく気がします。

 

要は、自分のIdentityを”理学療法士”におくか、”開発ワーカー”におくかという究極の問いに戻ってしまうわけです。。

 

うーん。

 

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学生食堂。